ドラえもん 新・のび太の日本誕生
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4月1日はドラえもんがUSO800の効果で未来から帰ってきた日である。
だからという訳ではないが、映画の日で安かったため、今年のドラえもんの映画「新・のび太の日本誕生」の2回目の観賞に行ってきた。感想を簡単に述べたいと思う。
ネタバレ込みなので例に拠って続きの方へ。
一昨年の「新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~」は2回観に行く時間が取れず、昨年の「のび太の宇宙英雄記」はとてもじゃないが2回目を観る気になるような作品ではなかったため、久々の感想となる。
「新・のび太の日本誕生」(以下「今作」)は映画「のび太の日本誕生」(以下「前作」)の再映画化のため、やはり前作との差異が気になっていたわけだが、今作では新たな追加キャラもおらず、概ね中盤までは前作や原作通りの展開だった。
終盤で明かされた、ククルが現代に来る要因となった時空乱流が、そもそもギガゾンビの亜空間破壊装置の実験結果であったという変更点は上手く繋げたと感じたし、ククルによってその亜空間破壊装置が破壊されることでゲストキャラとしての存在感を増していた変更自体はまあ悪くはない展開だったと思う。
ククルとは逆にタイム・パトロールの介入が減っており、それに拠ってギガゾンビの強大さが減算されてしまっていたのは一長一短ではあると感じる。T・Pに助けられる展開が、ドラえもんが助けられるだけで物足りないとか「のび太の恐竜」の焼き直しであると言った批判は、前作の上映当時自分の周辺では何人からか聞いたもので、おそらくはそういった過去にあった不満点を踏まえた上での変更だったのだろう。
だが、ドラえもんは万能ではなく22世紀の科学にも限界があり、勝てない相手がいるという描写は冷静な科学の視線を持つ藤子・F・不二雄らしいなと実に思う。それ故に、今作でドラえもんがギガゾンビに向かい言い放つ「1世紀の差なんて、みんながいれば怖くないぞ!」(うろ覚えなので微妙に間違ってるかもしれないが大意は変わっていないはず)といったのんきで非科学的な台詞には、藤子・F・不二雄の描くドラえもんは絶対言わないだろうなと強く違和感を覚えたものである。
とはいえ大きな不満点はその程度で、全体的に言えば良い作品だったと思う。ククルもそうだが、ペガ・ドラコ・グリにも個性付けされたり、再映画化時のゲストキャラクターの描写には毎回気を遣っているなあと感心することしきりだ。
次回作の予告映像は氷山の上に立つドラえもんだった。「大氷山の小さな家」(てんとう虫コミックス18巻)を下敷きにしたオリジナル作品かと思われる。「のび太のひみつ道具博物館」以後、原作なしの作品でも期待できるようになったのは嬉しい(笑)。素直に期待して上映を待っていようと思う。
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